2005年4月26日 第811号
・来賓卓話 島田貫司氏「日本人初のRI会長東ヶ崎潔翁について」 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2.来賓卓話 「日本人初のRI会長東ヶ崎潔翁について」 ________________________________________________________
東ヶ崎潔は、明治28年(1895)9月24日、サンフランシスコにて、貿易に従事する
かたわら生涯を自費伝道に捧げた父、東ヶ崎菊松の9人兄弟の長男として生まれた。 父母がキリスト者として明治初期の日本人渡米移住民の苦難を献身的に助けた姿は、 本人並びに兄弟姉妹のそれぞれの生き方に強い影響を与えた。 米国で大学教育を終え、日本キリスト教界の草分け的存在の金森通倫牧師の長女 と結婚し2男1女に恵まれ、1933年に住居を日本に移し今日に至っている。 職歴は、1946年以降、現在のジャパンタイムズの社長、会長、相談役。1964年 より富士海外旅行⑭の社長、会長を経て現在の⑭ジャパンアメニティトラベルの 相談役を務めた。 幼少時の父母の影響もあり、社会活動並びに社会奉仕に強い関心を持ち、戦後の ロータリークラブの復興、国際社会への復帰に努力。ロータリー歴は、1949年に会 長、57年にガバナー、63年にRI理事を務め、1968年には日本人として初めての国際 ロータリーの会長を務めた。58代目であった。時のスローガンは「Participation 参加せよ」であった。ロータリーに限らずいろいろな会に進んで参加する事に大切 さを訴えた。 彼の英語はネイティブなもので、良く通じた事がRI会長となった最大の理由であ った。モットーはシンプルであって欲しいという事で、服装や食事など全てのもの がシンプルだった。 他にも国際キリスト教大学の設立に尽力。1950年に初代理事長として同大学の土 台作りに努力し、本人は生涯の仕事として光栄に思っていた。
更に、日米協会、清里のキープ財団、日本聖書協会、日米会話学院、YMCA、
その他の団体に奉仕した。 一生を通じて弱者を励まし、若人に手を差し伸べる事を続けた。平成4年(1992) 2月6日午後9時2分聖路加病院において天に召された。96才。
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