漫画家 麻生豊 「まんがの力」企画展 大分県立歴史博物館 宇佐市


まんがの力 おおいた歴博No.43~日本の20世紀と麻生豊(あそう ゆたか(みのる)~
 現在、マンガは日本が世界に誇る文化として認識されていますが、明治から大正にかけての草創期、世の中を
風刺するマンガが、数多く描かれ、物語性のあるマンガ作品も登場し、次第に大衆の娯楽として認知されるように
なっていました。

 麻生豊は、その草創期に活躍した漫画家です。関東大震災後の世の中を明るくするために描かれた代表作
「ノンキナトウサン」はそんな時代に誕生しました。コマ割、ふきだしといった現在に通じる表現スタイルが見ら
れるこの作品は、日本の4コマ漫画の原点ともいわれ、映画化されたりキャラクターグッズが誕生したりと大変な
評判となりました。

 麻生豊の他の作品も、その多くは世相や政治などを題材にしたもので、社会に対する風刺、批評的な視点が
貫かれています。日本の漫画草創期において、マンガが世の中に対し大きな影響力があるメディアであることを、
麻生豊の作品は示したといえます。
平成25年度企画展
「まんがの力」
「ノンキナトウサン」
買出しの絵

麻生豊 年譜(略)
明治31年(1898年) 大分県三重町に生まれる。
麻生豊(昭和23年撮影)
明治38年(1905年) 麻生小学校に入学
大正3年(1914年) 長洲高等小学校卒業
大正4年(1915年) 東京の築地工手学校機械科入学
大正7年(1918年) 築地工手学校機械科卒業
大正9年(1920年) 北沢楽天の漫画家養成塾「漫画好楽会」に入会、
「時事新報」に漫画を投稿し始める。
この頃のペンネームは「馳羊」
大正10年(1921年) 日本漫画通信社に入社
大正12年(1923年) 報知新聞社に入社、漫画記者となる
昭和4年(1929年) 読売新聞社入社
昭和7年(1932年) 読売新聞社退社、朝日新聞社入社
 ~
昭和36年(1961年) 心不全にて急逝(63歳)

ノンキナトウサン(戦後版) 
ノンキナトウサンは、終戦直後にも登場します。作者は「非常時になるとどこからかひょっこり現れて
皆と一緒に苦労しながら生き抜くノンキなようなそして不死身な変なおやじ」と述べています。
大分県立歴史博物館蔵
仏教の教え:因果応報! 30年後の恩返し(タイのCM)

浄土真宗 真宗大谷派四日市別院 本願寺派(西)本願寺四日市別院 門前町 四日市 宇佐市 大分県
Monzen town Yokkaichi Usa Oita Kyusyu 
⇒門前町 四日市 宇佐市 大分県

平成25年度(2013年)企画展 おおいた歴博No.43 まんがの力 ~日本の20世紀と麻生豊~ 編集・執筆/菅野剛宏 
発行/大分県立歴史博物館より ~一部抜粋掲載~