掩体壕(えんたいごう) 宇佐海軍航空隊跡 宇佐空の郷

~大分県短歌紀行~短歌形式で綴る 大分県の歴史・文化と自然~


宇佐海軍航空隊に関するおもな歴史
1939年(昭和14年)
宇佐海軍航空隊正門


参考文献:「掩体壕を残すまちから」平田崇英著
 10月1日 宇佐海軍航空隊が練習航空隊として開隊する
(隊員約800名)。

1941年(昭和16年)
 12月8日 日本軍のハワイ真珠湾攻撃により太平洋戦争がはじまる。

1943年(昭和18年)
 7月9日 一般人や学徒の勤労奉仕隊により無蓋掩体壕
 (むがいえんたいごう)づくりがはじまる。 

1944年(昭和19年)
 2月15日 柳ヶ浦駅から航空隊への引込線完成
(現在の柳ヶ浦高校付近まで)。
 8月 有蓋掩体壕(ゆうがいえんたいごう)づくりが始まる。

1945年(昭和20年)
 2月11日 宮崎の赤江基地より、神雷(じんらい)部隊(人間爆弾
 「桜花(おうか)による特攻隊)が約30機の一式陸上攻撃機で
 移動してくる。

 2月24日 高森地区の駅館川(やっかんがわ)東岸台地において
 司令部が入る横穴壕の建設工事が始まる。

 3月1日 宇佐海軍航空隊が作戦部隊となる。

 3月18日 宇佐海軍航空隊が米軍機(グラマン、コルセア戦闘機など)
 による最初の空襲をうける。 
 出撃態勢にあった神雷部隊の一式陸上攻撃機が被害をうける。

 4月1日 神風特別攻撃隊の第1次八幡護皇隊(はちまんごおうたい)
 が、串良(くしら)基地などに進出。以降5月11日までの特攻で154名
 が戦死。

 4月20日 出撃前の野村茂上飛曹(じょうひそう)が長洲(ながす)
 国民学校のピアノで「トロイメライ」などを弾く
 (4月28日、鹿屋基地から出撃戦死)。

 4月21日 米軍重爆撃機(B-29)による空襲をうける(死者約320名)。
 航空隊は壊滅的な被害。三洲(さんしゅう)国民学校
 (現・柳ヶ浦小学校)、柳ヶ浦高等女学校(現・柳ヶ浦高校)などが
 炎上。

 5月5日 解隊され、西海(さいかい)海軍航空隊宇佐基地となる
 (残存機26機)。

 5月7日 八面山(はちめんざん)上空にて山口県小月(おづき)
 基地の 陸軍機が米軍 機(B-29)に体当たりし、爆撃する。
 捕虜2名を宇佐基地に移送する。

 8月6日 広島に原子爆弾が投下される。(死者20万人以上)。

 8月8日 米軍による空襲で、航空隊周辺の畑田(はたけだ)、
 江須賀(えすか)地区などが大きな被害をうける。

 8月9日 長崎に原子爆弾が投下される。(死者10万人以上)。

 8月15日 終戦
~宇佐海軍航空隊跡 戦争遺構めぐりガイドマップより一部抜粋掲載~

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